真言

思った事書くだけ〜

ここは退屈

「ここは退屈、迎えに来て」

っていう小説がある。

小説は基本的に1回読んだらもう読む事は無いんだけど、この小説だけは定期的に何回か読み直してしまう。

私が死んだ後、親が勝手にBOOK・OFFにこの本を連れていかないように、好きな部分に蛍光ペンでマークまでしている。

私がえげつない執着を見せるこの作品、何が、どうして、ここまで私を惹き付けるのか。

今一度、この場をお借りして考えてみようと思う。

 

 

私がどこにも行けないから?

この小説には都会に出たけどうだつの上がらない日々を過ごして結果地元に戻ってくる登場人物がいるんだけど、これって私の事かもってなんとなく思った。

車が無いと人権も無くなる田舎で育った私は、都会に大いなる憧れがある。

都会に全てがあると本気で思っている。

でも、まだ都会に行く事にしり込みしている自分がいる。

何も無い日々を過ごして、先述した登場人物のように何も無い顔で帰ってくるんだろうなぁ。

それって、どこかに行きたかったけど、どこにも行けなかった事と同じだよね。

どこかに行きたいけど、どこにも行けない、ずっとそんな気持ちを抱えている私の傷口に丁度よくこの作品が塩を塗ってくれる、まだ痛くないまだ痛くないって調節しながら、少しずつ。

 

結局は皆同じになってく

モデルの子が旬を終えて地元に帰ってきて、友達(元モデルのファン)が出来て、うだうだ言いながら婚活して無事結婚、子供ができるっていう話もこの作品の中にある。

女の人なら1回は考えた事あるかもね、出産とか結婚とか。

んで、若い子って皆普通ではいたくないから(かくいう私も)結婚はせず、キャリアウーマンになる道を選びたがる。この作品の中に出てくる子もそうだった。けど、30代になったら安定して寄りかかれる人が欲しくなるんだって。

皆、なりたくなかった普通になっていくんだって。誰かが言ってた。

でも今は結婚も出産も贅沢品だから。

その内誰もしなくなる、皆同じになっていく、そんな気がする。

 

友達の事、憧れた同級生の事

作品中に出てくるモデルの子と友達になったファンの子は、モデルの子とめっちゃ仲良しになるんだけど、先にモデルが結婚して、ファンと話が合わなくなって、ファンが1人でヤキモキしちゃうっていう場面がある。

生きながら、じんわり死んでいく人っているよね。自分の中で。

私も、今のまま変わってしまうのが惜しくて、冷凍保存したいくらい大好きな友達がいる。

でも、私が変わってしまったら、その子は私についてどう思うんだろう。私も誰かの中でじんわり死んでいく日が来るのかな。

似たような話で、思い出って妙に綺麗ですよね。あの頃1番だった同級生が、どこにでもいる普通の人間になってた、っていう話が作品中にあるんだけども、これ思い出の美化ですね。

私が好きだったのはあの頃の貴方だったのね〜なんて、よくある話。

でも皆通る道。思い出を綺麗にしてしまう性質を持った我々人間の避けては通れない道。

去年の桜、綺麗だった?今年の桜はそうでも無かった?誰と見た桜が1番綺麗だった?その誰かは今も生きてる?

思い浮かべているのは あの頃の私

また正解!魔人はなんでもお見通しだ!すでに21回プレイされたキャラクター

 

この作品は、私の傷を抉って、そこにいい塩梅で塩を塗るも、それを水に流して、瘡蓋を作ってくれる、そしてまた時が来たら傷を抉る。

DVしてくる彼氏から離れられない彼女みたいに私はこの作品から離れらないんでしょうな。